とりあえずぼやいておこうと思う。

Live Commerce・・・
海外でも公開したいECがあって、海外でも日本でも一元管理でEC作れるっていうんで、見つけたときはとてもうれしかったのであるが。どっぷりドツボに嵌ってしまった…心はさらに意気消沈。
レンタルサーバにインストール→NG
海外の設定も結構自由度高いサーバなんだけどね。ZendFremeworkも入れたのに、なぜかLCがコイツを認識してくれない。インストールできない。なぜだ・・・
XAMPPで試そうと自前PCに環境作ってみる→NG
かなり格闘してあれやこれやパッケージ付け足して環境整えた。インストールもできた。けど管理画面もカタログ画面もなんとかCLASSがないよ、つって表示されない。どうもエラー内容が正しく出力されてない感あり。辿っていくと、どドツボに嵌りそうな気がして一旦あきらめる。
CentOSで自前サーバを立ち上げる・・・
それでも、「好奇心」と言う名の悪魔には逆らえず、使ってない机の足元に転がしていた古いPC(インテルのシングルプロセッサの400mhz/メモリ256MBだよ;)引っ張り出してきて、centOSで自宅テストサーバ構築。そして、ここでも、ど嵌り。。。
なんかDLしてきたOSのインストーラがウマくなくてRETRY1。そして、なぜかMYSQLが起動しないRETRY2.PHPアップグレードのときにMYSQLの依存関係がおかしかったのかなと思ったけど、もう辿れないし、チェックミスでインストール時点から(==インストーラが)おかしかったのか、アップデートで失敗したからなのか、可能性が多すぎて深夜格闘の末、OSから再インストールのほうが早いわな~とあきらめる。
そして、ちまちまチェックしながらRETRY3の実践中。
今のところPHP5.2.6にあわせてapacheとmysqlもアップグレードして、動作もOK(に見える)
もともとこのマシンには、VineLINUXのちょっと古いのが入ってたんだけど、ECこうやって公開することになったら、多分centOSのVPSいじらないといけないんだろうな、と思って、勉強も兼ねてcentOSで構築しなおすことにした。X-WINDOWで画面見てると、FIREFOX立ち上がるのさえ辛そうだけどね;がんばれ、おじぃちゃん!

VPS借りてみても良かったんだけど、何で躓くかわかんないし、安いプランの場合、MYSQLとかPHPのバージョンあわせから、SSHとかでやらないといけない可能性大・大・大で、挙句ウゴカネェとかなってしまうと、悲惨この上ないので、とりあえず、VPS借りたときにも動作チェックのベースにできるマシンが手元にあったほうがいいかな、という判断(=好奇心)で自宅サーバにまで流れ着いたわけですが。

正直。
ハードル、高すぎですっ!
面倒だったらありゃしない。いまどきのOSCのユーザフレンドリーな設計思想からは大きく外れた、ある意味昔インテグレータのエゴがいっぱい感じられるパッケージです、LiveCommerceはっ!

それでも、好奇心には勝てないフロンティア精神オタク体質で、トライ続けます。
ま~、これで、なんだかんだで3日目なんですけどねぇ。
しかも、最初CENTのインストールとか失敗してたのって、風邪引いて熱出しながらPCイジイジしてたせいじゃないかなぁ、なんて、思ってたりするんですけどねぇ。

とりあえず、自前サーバは、デフォルト環境でアップデートして動作してるので、環境の最適化とか色々、ぽつぽつやってみます;

-B豚バージョン-自分の心が疲れた時に、紙に書きだす15の言葉

http://kachibito.net/private/15-recipes-for-life.html
こちらのサイトで「自分の心が疲れた時に、紙に書きだす15の言葉」というエントリーを読ませていただいて、なんとなくしっくり。
なるほど。
ひとそれぞれの生きるスタンス。
自分はどんな風に感じてるのかなぁ?と単純な興味が沸いたので、ちょっとココロの整理などいたしまして、自分バージョンも考えてみようと思い立つ。

浮かぶときも沈むときも、自分が生きるのは自分自身。他の誰にもなれません。
突っ走っていくだけじゃあ、疲れてしまうし、潜ってばかりいたって、つまらない。

自分はどうだろう?
ちゃんと自分の人生を生きれてるだろうか?
今死んだら、どんな悔いが残るんだろう?
どんなとき、アガるのかな?
自分のためのエールを送る。。。

Vo.1-自分は自覚しているよりもっと周りの人に愛されている。

私めは、大変自己チュウなので。時々自分でいっぱいいっぱいになってたり、世界で誰も自分の立場や想いなんてのをわかってくれない、、、ような気になっていたり。
そんな時、いつもは気にしない友人がみんな本当に心から自分のことを想ってくれているのを感じる瞬間があったり、意外とみてくれてるんだなと感じる瞬間があったり。
ああ、自分自身で自覚してるよりも、みんな本当に私のことを愛してくれているんだな、とうれしい驚きを感じます。
それって、きっと、いっぱいいっぱいな自己チュウな自分を自分で気づいてるから、そんな自分を誰も愛しているはずがない、とか想っちゃうんですね。要するに、自分が自分を嫌いなわけです。
でも、周りの人は、普段から自分を見ててくれて、そんな自己虫な私でも、どっかイイトコロを見つけて許してくれてる。人に守られて生きてるんだな、と素直な自分を取り戻す瞬間。

Vol.2-今までがんばってきた自分がいるなら明日もまたがんばれる。

時々疲れて、なんでこんな空回りしてるんだろう、うまくいかないんだろうと。
もういっそ全部放り投げて止めちまいたい、そんな時。
1日目には、自棄酒を食らって。
2日目には、悪態をついて。
それでも3日目には、そう、今までがんばってきた自分がいるなら明日もまたがんばれる、と小さな自信を取り戻す。昨日も自分、今日も自分、明日も私は自分なんだ。

Vol.3-人間、愛することが一番の癒し。

愛するほうが幸せか?愛されるほうが幸せか?みたいな話、ありましたね。
行き詰ったとき、疲れたときには、自分が愛してる人(ペット?)のことを考える。いっぱいいっぱい考える。自分が愛する人がそこにちゃんと存在しているということが、一番ココロの癒しです。

Vol.4-人はみな違うのだ。

自分が人と同じである必要はないし、人が自分と同じである必要はない。
世界を見よ!全然違う人だらけじゃないか!
人とわかり合うとは、「この人はこういう考えなんだ。」「この人はこういう人なんだ。」と理解することです。発見することです。
自分と比べて相違点を探すことでもないし、同化させようとすることでもない。その人は、「自分」ではないのです。違って当たり前なのです。そこで心を閉ざす必要なんかないんです。
違うことを許そうよ。違うことを許してよ。
自分にない価値観を持つ人のことを知るって、結構楽しいことだよ。

Vol.5-99人が同じ意見でも、それだけで残りの一人が正しくないということにはならない。

日本で100人中99人と違う意見でも、世界で1000人のうちの901人の一人かもしれない。
それに「正しい」と思われてることって意外と変わるもの。ヒトって意外と深く考えないで意見を決めてる、なんてことも多いんだってこと、忘れないでおこう。大事なのは自分の内側に生きる真実の声なのだ。

Vol.6-一番自分を不自由にしているのはいつも自分自身の心なのだ。

あ~息苦しいな。
あ~不自由だな。
そんな時。どうでもいいことばっかりやってみよう。一番不自由だと思うことを離れてみよう。
何とでもなるんだな、簡単に気づく。
人の目が気になったり。これはできないと思い込んでたり。
縛っているのはいつも自分なんだなと気づく。

Vol.7-元気な人のそばにいこう。

人間だもの。
いろんなココロのバイオリズムがあるよ。
人間だもの。
うまくいかない運勢のときもあるよ。
自分に元気が無いときは、元気な人のそばにいこう。
時には他力本願でOK。元気をいっぱいもらってしまおう。
いつか、今度は自分が誰かの元気の元になる。人はひとりじゃないからね。

Vol.8-今日できなかったことが明日もできないと思うな。

明日宝くじに当たるかも知れない。
でもそのことを今日知ることはできないのだ。
明日新しい友人に出会うかもしれない。
でもそのことを今日知ることはできないのだ。
昨日まで「こうだ!」と思っていたことが次の日には違っていたなんてことは人類の歴史の中で数え切れないくらいいっぱいある。
それが自分に起こらないなんて、思う必要は全く無いのだ。
明日になれば何とかなるかも。時にはそう思うことも必要。

Vol.9-他人にできないことは自分にもできないと思うな。

人の才能や努力は一本の線上で計れるものではない。
優れているところもあればダメなところもある。同じような能力でも、1つのヒントを得た人だけができるようになることもある。
自分より賢い人ができなくても。
自分よりラッキーな人ができなくても。
自分より年取った人ができなくても。
自分にもできないと思う必要は無い。
大切なのは、自分のアイデアと力でチャレンジしてみることだ。
精一杯やったときは、必ず、ここまでやれたからいい、と自分で納得できる場所が見つかるものなのだ。その場所を探してみることが全てのスタートなのだ。

Vol.10-思いつきで行動してみる。

疲れたなぁってときって、要はココロが疲れているのですね。
体が疲れたときは、がーっと寝てしまえばOKなわけで。
だから、疲れたら、とにかく思いついたことを何でも良いからやってみる。
掃除でもOK
料理でもOK
とにかく遠くへ行ってみる。
とにかくおいしいものを食べてみる。
とにかく1時間ぼぉ~っとしてみる。
計画してはいけませんよ。
「思いつきで」ってところが大事ですから。

Vol.11-大切なことは目には見えない。

サンテグジュペリの名著、「星の王子様」のなかの有名な言葉。
ある日王子様に狐が言います。
「大切なことは目には見えないんだよ。人は心の目で見なくちゃ何も見えはしないんだ。」
ムカつく人がいたら、その人のことを(勝手に;)想像してみる。その人は昨日恋人と別れたところかもしれない。そしたらちょっと同情してやさしく見逃してあげられるかも。
分かり合えないと思う人がいたら、その人のココロを(勝手に;)言葉にしてみる。その人はココロの中では多弁にたくさんのことを語っているけど言葉にできないだけかもしれない。そしたらちょっと想像して足りない言葉を補って聞いてあげられるかも。
いろんなことを考えていても。いつも上手にピッタリな言葉で言い表せるとは限らないのだ。
いろんなことをしていても。いつも本当にしたいこととは限らないのだ。
人は矛盾をいっぱい抱えている。
いつでも誰にでも想いや優しさを100%全部表現できる人なんていない。

Vol.12-人は他人に与えた喜び以上のものは受け取れないのだ。

誰かをうれしい気持ちにできたら、その人は次に誰かをうれしい気持ちにしてあげようと思うでしょう。
誰かに親切にしてあげたら、その人は次に誰かに親切にしてあげようと思うでしょう。
そうしてめぐり合って、誰かにあげた喜びが自分に返ってくるものです。
直接のときもあるだろうし、何人も人を経て、というときもあるかもしれない。
けれど与えないものは返ってこない。
多くの人を幸せにして多くを人に与えることができる人が、多くの幸せや喜びを受け取ることができる。
そのことを時々思い出そう。
思いやりは感染する。楽しい気分も感染する。うれしい気持ちも感染する。
周りが自分を大切にしてくれていないと感じたら。
まずは自分が人を喜ばせる何かを10個考えて実行してみることにしよう。

Vol.13-自分の人生に本当に欲しいものが何かをいつも必ず忘れない。

お金。仕事をしてると成功の目的はお金な気がしてくる。
お金があったら、いろんなものが買える。お金があったらいろんなところにいける。お金があったらいやな仕事もしなくていい。
さて。買いたいものってなに?行きたいところってどこ?じゃあしたい仕事ってどんなこと?
本当に「欲しい」物は何か?
私たちは、つい手段を目的に摩り替えてしまう。本当の目的を持っていないまま生きてしまうことも多いのだ。
少し時間をかけても良いから、他人ではなく、誰でもなく、「自分」が何があれば幸せで何が欲しいのかをじっくり考えてみる。それがわかったら、いつもそのことを忘れないようにする。
そうすると、自然と切り捨てるものと求めるものが見えてくる。
今まで自分が「そう」と思っていたもの、必要と思っていたものと、すごくかけ離れてることに意外と気づくかもしれない。
社会の中で、みんなが同じものを目指していて、みんなが同じ義務を追っているような気がしていて、みんなと同じものを持っていれば安心で。
でも、本当は、「自分」は「人」とはちがうんだ。
そのことに、時々気づけなくなってしまっているんだということに意識を向ける時間が必要だ。
そうして、本当に欲しいものだけを思い描いてみると、そんなにたくさんのものがなくても、自分は充分幸せなんだと気づく。

Vol.14-ついでじゃない「ありがとう」を10個言ってみる。

しばらく会って無い人でもいい。
道で偶然出会った人でもいい。
とにかく「ありがとう」を10個探して言葉にしてみる。
ついでじゃなくて、1年前に言いそびれたことでもいい、10年前に言いそびれた人に電話してもいい。
手紙でもいい。メールでもいい。
10個新しいありがとうを伝えること。
いっぱいもらってきたんだな、と思う。もらいすぎた分を少し返そうかな、という余裕ができる。

Vol.15-部屋は自分の心の鏡。

なんかすっきりしないときは、自分の部屋を見直してみる。
どっかよどみがあるはず。汚れた机や埃だらけの本棚。そんな中に暮らして無いか。
部屋をきれいに片付けるとココロも不思議とすっきり片付くような気がする。
今居る場所が自分の現在を現しているのだ。
自分の中身から変えるのは難しいけれど、部屋の中を片付けることはできる。
不思議とココロもすっきりするから。

すっきり書けないこともあるけれど、元気になるために必要なこと。
自分らしさを保つということと、自分と周囲(環境や人)との関係性を良くしていくこと。
そんなことが大切なのかな、と、そういうエッセンスを忘れそうになったときに。
余裕がなくなってきたなと思うときに。
少しだけ思いかえすことで明日はもうちょっと楽しい日になるかもしれない。

アフォーダンスな話-Real Affordance(実際のアフォーダンス)とPerceived Affordance(知覚されたアフォーダンス)

なるほど納得な「アフォーダンス」の話。

3年か4年くらい前、ダニエル・ノーマンの著書「誰の為のデザイン」が周りのWEB制作者の間でやたら持ち上げられたことがあって。
確かWEB標準の流れの話とFLASHとJSなんかがガサガサしてて、どこへいくんだ、これからのWEBってなことで、やたらみんなUIとかIAの話してましたね。
確かに、なんかいっぱいありすぎて落ち着かないって言うか。複雑なITスキル、どれもこれもを追いかけるってのは実際個人のマンパワーでは不可能で、そうなってくると、なんちゅうか、どれが流行るんか(=>お金になるんか)どれが標準になるんか(=>仕事になるんか)教えてくれ決めてくれ的なね。なんかそ~ゆーんですよ、はい。

そいでWEB制作者どうしで、UIの話するときに、ちょっとこれ、読まないとね、みたいなちっちゃい流行になったのが、「誰の為のデザイン」て本だったわけなんですけども。

んで、そこで認知学の話から、アフォーダンスって言葉(概念)が頭よさげな感じで、わささ~と広がっていきました。あの頃、みんなやたらと “あふぉーだんす” “あふぉーだんす” 言うてましたね。私も。はい。

ところが、最近読ませていただいたブログで、そもそもダニエル・ノーマンの言うアフォーダンスってのは、実際のアフォーダンスって概念とまちがってんよ、って話が出てきました。

おえ~???なんと!
今まで信じていたものが、ガラガラって崩れていきました。
そして、なるほど。

ダニエル・ノーマンの本読んで、そかそか、と納得していた概念が、根本的に正反対だったらしいんです。
で、デザイン関係のエライ人たちにも混同して考えている人が結構いるらしく、この概念をちゃんと理解して、この人は、アフォーダンスって言葉にどういう定義をして、使ってるのかな?って考えながら話を聞かないと、ちんぷんかんぷんってことになります。

正しいアフォーダンスは、、、
「アフォーダンスというのは、生態心理学者ギブソンが提案した、「行為者とモノとの物理的な行為の関係性」を示す造語。
「○が□に×できるという関係」をカタカナで言ったもの、つまり客観的な事実であるということ。

ところが、認知学者ダニエル・ノーマンが「誰の為のデザイン」で提唱したアフォーダンスっていうのは、、、
「○が□に×できそう(に見える/思える)という関係」、つまり主観的な認知や知覚なんですね。

正しいオリジナルのアフォーダンスの概念で言うと、
○ イスに座れる(座れなさそうに見えても、座りたくなくても、実際の事実として「座れる」) →このイスには、「座れる」というアフォーダンスが存在する
× イスに座れそう(実際に小さすぎたり壊れてたりして、座れなくても、ある人が「座れる」と認識する) →このイスには「座れる」というアフォーダンスが存在しない(=事実関係としては座れないから。)
てことになるわけです。
ところが、ダニエル・ノーマンのいうアフォーダンスでいうと、、
○ そのイスが、イスとして人から「座れる」ものとして認識される →このイスには、「座れる」(正しくは座れるものだと認識される)というアフォーダンスが存在する
× そのイスが、(例えば変な形状で。実際に座れるのかどうかは別として)人から「座れる」物として認識されない →このイスには、「座れる」(正しくは座れるものだと認識される)というアフォーダンスが存在しない
となります。

なぁんか、なんとなく、わかります?
前者は、そのことそのものが「事実なのかそうでないのか」を言っているのに対して、後者は、事実関係は別として、そう人から認識されるかどうか、つまり「そのように見えるかどうか」ということを主観点にしています。

で、ダニエル・ノーマンさんは、1999年に、「誰の為のデザイン」で言及されているアフォーダンスは全て、ギブソンの言うアフォーダンスではない、と訂正を行い、ギブソンのいうアフォーダンスを実際のアフォーダンス(Real Affordance)、自らの著書内にあるアフォーダンスは、「知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)」と読んでくれ、と訂正しています。
てことです。

は~。なんか、自分の中で、遅ればせながら、整理ついた。

ネタ元はこちらです。↓↓↓
http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/06/post_86.php
有益な情報をありがとうございました!

Papervision3Dを使ってみるためのイロイロ備忘録その1

Papervision3Dとは、Flash(ActionScript)で3D描画を行うASの拡張ライブラリ。

つまり、このパッケージをダウンロードしてきて自身で作成しているFLASHのASコードに連携させることで、複雑なASコードを最初から書かなくても、用意されているクラスを利用して、複雑な動作や表現ができるってことです。ちなみにPV3D(Papervision3D)は2DであるFLASH内で擬似3D表現を可能にするソースコードのパッケージです。

他にも代替ライブラリや違う表現機能を持ったライブラリが色々オープンソースでも出ているけど、PV3Dは、人気があって有名で、AR(Augmented Reality)的なイロイロを作成するときに、便利なFLARtoolKitというSaqooshaさんのソースパッケージと連動させて使うことができるので(ネットでサンプルとかチュートリアルとか豊富)これを使ってイロイロやってみることにする。

できることイロイロ。
フラッシュ内で3D的なものが作れる。
例えば、プリミティブな図形(球や立方体や円柱、飛行機など)をスクリプト制御で動的に生成してテクスチャをつけるとか、それを見ている3D空間の擬似カメラの視点や視野角を調整するとか、さらにマウスアクションに連動させて、そういうオブジェクトを自由に動かすとか、3Dハイパーなテキストを動的に出すとか、ま~、3Dアニメーションで簡単にやりたいようなフラッシュ的な面白い物をイロイロ作れるってことでしょかね。

どういう風に機能するかっていうと。
まずこちらでいろんな動きとかを作っていくAS3(フラッシュのアクションスクリプトVer.3)を書いていき、そのコードに書いた内容を表示するための空のFLAファイル(ドキュメントルートに、その実行するASを設定しておく)を用意しておきます。
んっで、そのASのコードから、PV3Dのクラス(うんっと。要は、いろんな動きとかオブジェクトを作成するコードのグループ化した塊ね。“四角形生成~”とか“3Dカメラを置く”とか“90度回す”とかそういうのを実現するコードのグループ。通じます?説明悪くてごめんなさい;)を呼び出してあげますと、そのイロイロな複雑なことを実行するコードグループはPV3Dのパッケージの中にグループごとに入っているので、こちらで作成したASコードには、「PV3Dの1番コードを実行。」って感じで書いとけば、そのグループに含まれる複雑な処理は全部を書かなくても自動的にPV3Dの中身が呼び出されて処理してくれる、というわけです。
私たちは、PV3Dでは、「PV3Dの1番コードを実行。」っていうのを、なんて書いてあげればいいかだけを考えればよくなるんですね。

ちなみに、アクションスクリプトはバージョン色々あって、2も使えますけど、動作の安定性と表示処理の速さとか色々な都合を考えると、PV3Dを扱うときには、3にするのがベストだそうです。3Dレンダリングってマシンに結構な負荷かけますから。ココはさくっとその通りAS3使いましょう。

そいじゃ。

動かすために、PV3Dをどういう風にローカルマシンに配置してやればいいかとかどうやってDLするかとか、その辺ですけど。

PV3Dは、ローカルマシンの好きな場所に一式を保存して、フラッシュの編集メニュー→環境設定からActionScriptのタブの中のActionScript3設定を開いて、「ソースパス:」という項目で+ボタンをクリック。さらにフォルダのマークの参照ボタンをクリックして、ダウンロードしてきたPV3Dの「\papervision3d\as3\trunk\src」という階層を選択してOKしましょう。
これで、いつでも任意のAS3コードからPV3Dのアクションスクリプトを参照して利用できるようになりました。
たまたま1台のテストマシーンで使ってみたいとか、設定が面倒だから、あんまり考えたくない、みたいな時には、DLしてきたPV3Dの「\papervision3d\as3\trunk\src」の中にある、「org」フォルダと「nochump」フォルダを、これから作成・編集するASファイルとFLAファイルを保存した同じところにコピーしておけば、上記の設定をしなくてもPV3Dを利用できます。

どっちでもいいです。使いやすいほうで。いっぱい作るなら設定しちゃったほうがバージョンアップとかも同一管理でできるから便利だし、チュートリアルを試すくらいなら、ファイルフォルダをコピペしてきて使うってのもわかりやすいだろうし。

さて。ちょっと戻りますが、上記を踏まえて、PV3DをDLします。
PV3Dは、ZIPファイルとSWCファイルでDLすることもできますが、開発コードのアップグレードが結構頻繁に行われていますので、そういう差分までを管理しているSubversionシステムから管理用のアプリケーションを使ってDLするのがいいと思います。常に新しいのは、Subversionシステムにアップロードされているソースコードのほうです。

アーカイブをDLする場合は、ココから最新をどうぞ。
http://code.google.com/p/papervision3d/downloads/list

SubversionシステムからDLする場合は、SubversionクライアントソフトであるTortoiseSVNをDLして利用してください。(他にも、Subversionクライアントソフトはあります。WINで一番ポピュラーなのがこれなだけです)

簡単にSubversionの取得のやり方。
1)TortoiseSVNをマシンにインストールしておく。
2)PV3Dを保存したいディレクトリにフォルダを作って右クリック。すると、右クリックのメニューに「SVN checkout」と言うメニュー項目ができていると思うので、そのメニューをクリックして選択。
3)表示されるCHECKOUTのウインドウで「URL of repository:」のフォームの中に、「http://papervision3d.googlecode.com/svn/trunk/」と入力してOKをクリック。
4)横長の別ウインドウが出てきて、ダウンロードが始まります。完了したら、OKボタンをクリックして終了。
これで、PV3Dの最新コード全てがDLされますが、AS3を使うなら、必要なのは、\as3\trunk\の中身だけなので、それだけをDLしてもかまいません。

これで一応、フラッシュのアクションスクリプトで、PV3Dのクラスが使えるようになりました。

今日のところはこれでおしまい。次は基本機能とか、イロイロ。