アフォーダンスな話-Real Affordance(実際のアフォーダンス)とPerceived Affordance(知覚されたアフォーダンス)
なるほど納得な「アフォーダンス」の話。
3年か4年くらい前、ダニエル・ノーマンの著書「誰の為のデザイン」が周りのWEB制作者の間でやたら持ち上げられたことがあって。
確かWEB標準の流れの話とFLASHとJSなんかがガサガサしてて、どこへいくんだ、これからのWEBってなことで、やたらみんなUIとかIAの話してましたね。
確かに、なんかいっぱいありすぎて落ち着かないって言うか。複雑なITスキル、どれもこれもを追いかけるってのは実際個人のマンパワーでは不可能で、そうなってくると、なんちゅうか、どれが流行るんか(=>お金になるんか)どれが標準になるんか(=>仕事になるんか)教えてくれ決めてくれ的なね。なんかそ~ゆーんですよ、はい。
そいでWEB制作者どうしで、UIの話するときに、ちょっとこれ、読まないとね、みたいなちっちゃい流行になったのが、「誰の為のデザイン」て本だったわけなんですけども。
んで、そこで認知学の話から、アフォーダンスって言葉(概念)が頭よさげな感じで、わささ~と広がっていきました。あの頃、みんなやたらと “あふぉーだんす” “あふぉーだんす” 言うてましたね。私も。はい。
ところが、最近読ませていただいたブログで、そもそもダニエル・ノーマンの言うアフォーダンスってのは、実際のアフォーダンスって概念とまちがってんよ、って話が出てきました。
おえ~???なんと!
今まで信じていたものが、ガラガラって崩れていきました。
そして、なるほど。
ダニエル・ノーマンの本読んで、そかそか、と納得していた概念が、根本的に正反対だったらしいんです。
で、デザイン関係のエライ人たちにも混同して考えている人が結構いるらしく、この概念をちゃんと理解して、この人は、アフォーダンスって言葉にどういう定義をして、使ってるのかな?って考えながら話を聞かないと、ちんぷんかんぷんってことになります。
正しいアフォーダンスは、、、
「アフォーダンスというのは、生態心理学者ギブソンが提案した、「行為者とモノとの物理的な行為の関係性」を示す造語。
「○が□に×できるという関係」をカタカナで言ったもの、つまり客観的な事実であるということ。
ところが、認知学者ダニエル・ノーマンが「誰の為のデザイン」で提唱したアフォーダンスっていうのは、、、
「○が□に×できそう(に見える/思える)という関係」、つまり主観的な認知や知覚なんですね。
正しいオリジナルのアフォーダンスの概念で言うと、
○ イスに座れる(座れなさそうに見えても、座りたくなくても、実際の事実として「座れる」) →このイスには、「座れる」というアフォーダンスが存在する
× イスに座れそう(実際に小さすぎたり壊れてたりして、座れなくても、ある人が「座れる」と認識する) →このイスには「座れる」というアフォーダンスが存在しない(=事実関係としては座れないから。)
てことになるわけです。
ところが、ダニエル・ノーマンのいうアフォーダンスでいうと、、
○ そのイスが、イスとして人から「座れる」ものとして認識される →このイスには、「座れる」(正しくは座れるものだと認識される)というアフォーダンスが存在する
× そのイスが、(例えば変な形状で。実際に座れるのかどうかは別として)人から「座れる」物として認識されない →このイスには、「座れる」(正しくは座れるものだと認識される)というアフォーダンスが存在しない
となります。
なぁんか、なんとなく、わかります?
前者は、そのことそのものが「事実なのかそうでないのか」を言っているのに対して、後者は、事実関係は別として、そう人から認識されるかどうか、つまり「そのように見えるかどうか」ということを主観点にしています。
で、ダニエル・ノーマンさんは、1999年に、「誰の為のデザイン」で言及されているアフォーダンスは全て、ギブソンの言うアフォーダンスではない、と訂正を行い、ギブソンのいうアフォーダンスを実際のアフォーダンス(Real Affordance)、自らの著書内にあるアフォーダンスは、「知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)」と読んでくれ、と訂正しています。
てことです。
は~。なんか、自分の中で、遅ればせながら、整理ついた。
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有益な情報をありがとうございました!